ケータイ「山本五十六けんてい」とは

ケータイ「山本五十六けんてい」とは、携帯電話から山本五十六に関する知識を測定できる検定です。
難易度に合わせて「初級編」「中級編」「上級編」と選ぶことができます。
無料診断もあるので、ぜひチャレンジしてみてください。

ケータイ「山本五十六けんてい」はこちら

ケータイ「山本五十六けんてい」へのQRコード

山本五十六とは


昭和17年ごろの山本五十六

山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、新潟県出身の大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。ソロモン戦線で米軍の攻撃によって戦死するまで太平洋戦争(大東亜戦争)前半の日本海軍の攻勢作戦、中でも真珠湾攻撃とミッドウェー海戦での総指揮に当たったことから海外でも太平洋戦争の日本を代表する提督として広く知られる。

wikipediaより

もっと詳しく

ページトップへ

真珠湾攻撃


炎上するアメリカ海軍戦艦「アリゾナ」

真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、英語:Attack on Pearl Harbor、日本時間1941年12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、休日である日曜日を狙ってハワイオアフ島真珠湾[1]にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空攻撃および潜航艇による攻撃である。
当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦の一環として計画された作戦であり、マレー作戦に次いで開始された作戦である。戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を喪失した。世界史的には、マレー作戦と本攻撃によって第二次世界大戦はヨーロッパ・北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。

wikipediaより

大日本帝国海軍艦隊の航跡図

大日本帝国海軍攻撃隊の侵入経路図

ページトップへ

ミッドウェー海戦


炎上するミッドウェー基地

ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん)は第二次世界大戦中の昭和17年(1942年)6月5日(アメリカ標準時では6月4日)から7日にかけてミッドウェー島をめぐって行われた海戦。同島の攻略をめざす日本海軍をアメリカ海軍が迎え撃つ形で生起した。日本海軍はこの海戦で機動部隊の中核をなしていた主力空母4隻とその艦載機を一挙に喪失する損害を被り、これ以降戦争における主導権を失った。

wikipediaより


ミッドウェー攻略作戦全図

第一機動部隊進出航路図

先遣部隊の配置図

ページトップへ

艦船・戦闘機

赤城(あかぎ)「空母」

赤城(あかぎ)は、かつて大日本帝国海軍に所属した航空母艦である。同型艦は天城(未成)。太平洋戦争初期の重要な海戦において、機動部隊の旗艦として活躍したが、1942年、ミッドウェー海戦で沈没した。

wikipediaより

加賀(かが)「空母」

加賀(かが)は、日本海軍の航空母艦。加賀型未完成戦艦を改装した大型空母である。太平洋戦争前半においては日本海軍の主力空母として活躍したが、1942年(昭和17年)、ミッドウェー海戦にて沈没した。

wikipediaより

改装後。排煙処理中。原典 広島県呉市海事歴史科学館所蔵品

蒼龍(そうりゅう)「空母」

蒼龍(そうりゅう)は、日本海軍の航空母艦。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。戦闘詳報には、「蒼竜」の漢字表記も併用されている。なお戦後、この名称は海上自衛隊のそうりゅう型潜水艦の1番艦「そうりゅう」に引き継がれた。

wikipediaより

蒼龍(そうりゅう)は、旧日本海軍の航空母艦。中型の空母で、赤城・加賀の運用経験で確証を得られた手法を選んで無難に設計され、 日本空母のモデル形になった。 wikipediaより

飛龍(ひりゅう)「空母」

飛龍(ひりゅう)は、日本海軍の航空母艦。開戦以降、日本海軍の主力空母の1隻として活躍したが、1942年(昭和17年)、ミッドウェー海戦にて沈没した。同海戦で沈没した4空母のうち当初は被弾を免れ、山口多聞少将の指揮下、米空母「ヨークタウン」を撃破したことで知られる。

wikipediaより

日本海軍航空母艦「飛龍」横須賀軍港にて工事完了後の写真。原典 広島県呉市海事歴史科学館所蔵品

翔鶴(しょうかく)「空母」

翔鶴(しょうかく)は、旧日本海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の1番艦。アメリカのエセックス級やイギリスのイラストリアス級と同様、ワシントン海軍軍縮条約終了後に設計建造されたため、必要かつ十分な装備を持つ大型空母として完成した。第五航空戦隊として「瑞鶴」との作戦行動時には決まって本艦が損害を受けることが多かった。日本海軍機動部隊の主力艦として活躍したが、1944年(昭和19年)6月のマリアナ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没した。

wikipediaより

At Yokosuka, 23 August 1941, shortly after she was completed.
Donation of Kazutoshi Hando, 1970.
U.S. Naval Historical Center Photograph.

真珠湾攻撃へ向かう翔鶴艦載機 原点 Official U.S. Navy Photograph 80-G-71198, now in the collections of the National Archives.

ページトップへ

瑞鶴(ずいかく)「空母」

瑞鶴(ずいかく)は日本海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の2番艦。太平洋戦争中、真珠湾攻撃や珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などで活躍したが1944年(昭和19年)10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没した。瑞鶴はマリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦であった。艦名の「瑞」はめでたいという意味。「鶴」は日本において長寿の象徴とされており、縁起の良い鳥獣の一種である。

wikipediaより

25 September 1941, the day she was completed for service. Courtesy of Mr. Kazutoshi Hando, 1970.
U.S. Naval Historical Center Photograph.}} Source

零式艦上戦闘機

零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は大日本帝国海軍(以下、海軍と表記する)の主力艦上戦闘機。零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)の略称で知られている(以下、零戦と表記する)。海軍の艦上戦闘機(以下、艦戦と表記する)としては実質的に最終型式で、日中戦争の半ばから太平洋戦争の終戦まで前線で運用された。零戦は、大戦初期において、その長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能により、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めた。このため、零戦は当時の連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられた。しかし、大戦中期以降には、大量投入された連合国側新鋭機に対する零戦の機体としての優位は失われ、日本側のベテラン搭乗員の損失から、零戦の戦闘力も陰りが生じた。大戦末期には、他の多くの日本機と同様、特別攻撃機としても使用された。
零戦の開発元は三菱重工業(以下「三菱」という)である。生産は、三菱のみならず中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製である。零戦は、アメリカ陸軍のP-51ムスタング、ドイツ空軍のメッサーシュミットBf109、イギリス空軍のスピットファイアなどとともに、第二次世界大戦期の代表的な戦闘機として知られている。

wikipediaより

ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型(A6M3)

九九式艦上爆撃機

愛知 九九式艦上爆撃機(あいち きゅうきゅうしきかんじょうばくげきき)は、昭和11年(1936年)「十一試艦上爆撃機」として試作が始まり、愛知航空機(1943年愛知時計電機から独立)が受注・生産を行い、太平洋戦争初期に活躍した、日本海軍の艦上急降下爆撃機。通称「九九式艦爆」、もしくは「九九艦爆」。記号はD3A。アメリカ側コードネームはVal(ヴァル)。

wikipediaより

真珠湾攻撃の直前。後ろに見えるのは空母蒼龍 原典 Official U.S. Navy photograph 80-G-182259

九七式艦上攻撃機

九七式艦上攻撃機(きゅうななしきかんじょうこうげきき)は日本海軍の艦上攻撃機。競争試作された2機種が両方とも採用されたため、この名を持つ飛行機には全く設計の異なる中島製(B5N)と三菱製(B5M)の2種類が存在するが、通常は中島製(B5N)を指す。

wikipediaより

出典 Source:Warbirds site http://www.ijnafpics.com/jbwb5m1.htm

ページトップへ

比叡 (ひえい)「戦艦」

比叡 (ひえい)は、大日本帝国海軍(以下日本海軍)の戦艦(発注時は装甲巡洋艦)で、金剛型戦艦の2番艦。改装時に大和型戦艦のテスト艦として新技術が導入され、南雲機動部隊の一艦として行動したが、太平洋戦争で最初に沈没した日本海軍戦艦となった。

wikipediaより

出典 Kure Maritime Museum, (edited by Kazushige Todaka), Japanese Naval Warship Photo Album: Battleships and Battle Cruisers, p. 106.

霧島 (きりしま)「戦艦」

霧島(きりしま)は日本海軍の軍艦。最終時は戦艦で、金剛型戦艦の4番艦。艦名は、宮崎県と鹿児島県の県境に広がる霧島山にちなんで命名された。日本海軍の命名慣例については日本艦船の命名慣例を参照のこと。なお、名称は、海上自衛隊のこんごう型護衛艦の2番艦きりしまに受け継がれている。

wikipediaより

出典 Official U.S. Navy Photograph, from the collections of the Naval Historical Center.

利根(とね)「重巡洋艦」

利根(とね)は、日本海軍の重巡洋艦で、利根型重巡洋艦の1番艦。艦名は二等巡洋艦の命名慣例に従って、関東地方を流れる利根川にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。艦前部に主砲塔4基を集中し、後部を飛行機発進甲板・水上偵察機待機所とした、第二次世界大戦当時としては珍しい艦型である。航空巡洋艦として、艦隊の索敵を担当した。

wikipediaより

出典 wikipediaより

筑摩(ちくま)「重巡洋艦」

筑摩(ちくま)は、日本海軍の重巡洋艦。利根型の2番艦である。艦名は筑摩川(千曲川、信濃川の上流部)に因んで命名された。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。

wikipediaより

出典 wikipediaより

阿武隈(あぶくま)「軽巡洋艦」

阿武隈(あぶくま)は、日本海軍の軽巡洋艦。長良型の6番艦である。その艦名は、福島県、宮城県を流れる阿武隈川より名づけられた。阿武隈は、大正年間に多数建造された5500トン型軽巡洋艦の長良型の一艦として、1924年(大正13年)に浦賀船渠で完成した。艤装中に関東大震災が起こり、造船所の施設が被害を受けたため、完成は1年以上遅延した。

wikipediaより

出典 wikipediaより

谷風(たにかぜ)「陽炎型駆逐艦」

谷風(たにかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。陽炎型駆逐艦の14番艦である。1944年、タウイタウイ沖で雷撃により戦没。艦名は初代「谷風」(江風型駆逐艦)に続いて2代目。

wikipediaより

出典 wikipediaより

浦風(うらかぜ)「陽炎型駆逐艦」

浦風(うらかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。陽炎型駆逐艦の11番艦である。1944年、台湾海峡で戦没。艦名は初代浦風(浦風型駆逐艦)に続いて2代目。

wikipediaより

出典 wikipediaより

ページトップへ

浜風(はまかぜ)「陽炎型駆逐艦」

浜風(はまかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。陽炎型の13番艦である。「武蔵」「金剛」「信濃」の沈没に立ち会い、自身も1945年坊ノ岬沖海戦で「大和」と共に戦没した。艦名は初代浜風(磯風型駆逐艦)に続いて2代目。

wikipediaより

出典 wikipediaより

磯風(いそかぜ)「陽炎型駆逐艦」

磯風(いそかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。陽炎型駆逐艦の12番艦。真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦など、太平洋戦争中の大きな海戦に全て参加。大和、武蔵、信濃、金剛、大鳳、蒼龍といった連合艦隊主要艦艇の沈没に立ち会っている。1945年、坊ノ岬沖海戦で戦没。艦名は初代「磯風」(磯風型駆逐艦)に続いて2代目。

wikipediaより

出典 wikipediaより

不知火(しらぬい)「陽炎型駆逐艦」

不知火(しらぬい)は、日本海軍の駆逐艦。陽炎型の2番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。浦賀船渠で1937年8月に起工、1939年12月に竣工し同時に第18駆逐隊に編入され、11月15日、第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。

wikipediaより

出典 wikipediaより

伊号第一九潜水艦(いごうだいじゅうきゅうせんすいかん)

伊号第一九潜水艦(いごうだいじゅうきゅうせんすいかん)は、日本海軍の伊一五型潜水艦の3号艦。1938年3月15日、三菱重工神戸で起工され、1939年9月16日に進水し、1941年4月28日に竣工した。その後太平洋戦争中のアメリカ西海岸沿岸における通商破壊作戦に参加した。

wikipediaより

画像は、伊一五型潜水艦(巡潜乙型) 出典 wikipediaより

伊号第二一潜水艦(イごうだい21せんすいかん)

伊号第二一潜水艦(イごうだい21せんすいかん)は、大日本帝国海軍の伊一五型潜水艦の4番艦。第三次海軍補充計画(通称(3)計画)によって計画され、1939年(昭和14年)1月7日起工、1941年7月15日竣工。通商破壊により、通算11隻の船を撃沈した。

wikipediaより

原典 The Japanese book "軍艦写真帖" (pictures of warships) a revised editiontures of warships) a revised edition

特殊潜航艇 甲標的(こうひょうてき)

甲標的(こうひょうてき)は日本海軍において最初に開発された特殊潜航艇である。兵装として魚雷2本を艦首に装備し、電池によって行動する小型の潜航艇である。後に発電用のディーゼルエンジンを装備した。当初は洋上襲撃を企図して設計されたが、後に潜水艦の甲板に搭載し、水中から発進して港湾・泊地内部に侵入し敵艦船を攻撃するよう戦術が転換された。初陣は1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃である。

wikipediaより

真珠湾に漂着した甲標的の残骸
原典 National Archives and Records Administration

ページトップへ

カリフォルニア (USS California, BB-44) 「アメリカ海軍の戦艦」

カリフォルニア (USS California, BB-44) はアメリカ海軍の戦艦。テネシー級戦艦の2番艦。艦名はアメリカ合衆国31番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては5隻目。カリフォルニアは1916年10月25日にメア・アイランド海軍工廠で起工する。1919年11月20日にR・T・ゼーン夫人によって命名、進水し、1921年8月10日に初代艦長H・J・ジーグメイアー大佐の指揮下就役した。就役後は太平洋艦隊の旗艦となった。

wikipediaより

原典 PD-USGOV-MILITARY-NAVY

メリーランド (USS Maryland, BB-46)「アメリカ海軍の戦艦」

メリーランド (USS Maryland, BB-46) はアメリカ海軍の戦艦。コロラド級の2番艦。同級では唯一ワシントン海軍軍縮条約までに竣工した。艦名はアメリカ合衆国7番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目。名前の上では2番艦だが上記の通り最初に竣工したためネームシップと見なされることがある。

wikipediaより

原典 PD-USGOV-MILITARY-NAVY

テネシー (USS Tennessee, BB-43) 「アメリカ海軍の戦艦」

テネシー (USS Tennessee, BB-43) はアメリカ海軍の戦艦。テネシー級戦艦のネームシップ。艦名はアメリカ合衆国16番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目。第一次世界大戦直後に就役した戦艦である。総合能力では他のアメリカ海軍戦艦と同様の能力を持つ。日本海軍による真珠湾攻撃で損傷し、姉妹艦カリフォルニアは着底した。のちに両艦は徹底的な近代化改修を受け、装甲、速力、主砲を除いた部分でサウスダコタに準じた性能、外観を持った。

wikipediaより

原典 PD-USGOV-MILITARY-NAVY

アリゾナ (USS Arizona, BB-39) 「アメリカ海軍の戦艦」

アリゾナ (USS Arizona, BB-39) はアメリカ海軍の戦艦。ペンシルベニア級戦艦の2番艦である。艦名はアメリカ合衆国48番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目。アリゾナは1941年12月8日の真珠湾攻撃で1,177名の兵士と共に沈没した。現在も湾の底に沈没状態で保存され、船体上にアリゾナ・メモリアルがある。

wikipediaより

原典 U.S. Naval Historical Center Photograph, Photo #: NH 57658

オクラホマ(USS Oklahoma, BB-37) 「アメリカ海軍の戦艦」

オクラホマ (USS Oklahoma, BB-37) は、アメリカ海軍の戦艦。ネバダ級戦艦の2番艦。艦名は、アメリカ合衆国46番目の州にちなむ。蒸気タービンの代わりにレシプロエンジンを主機に採用した最後のアメリカ軍艦艇であり、最後まで振動問題に悩まされた。

wikipediaより

原典 history.navy.mil

ページトップへ

ウェストバージニア (USS West Virginia, BB-48)  「アメリカ海軍の戦艦」

ウェストバージニアは1920年4月12日にバージニア州ニューポート・ニューズのニューポート・ニューズ造船所で起工し、1921年11月17日にアリス・ライト・マン(アイザック・T・マンの娘)によって命名、進水し、1923年12月1日に初代艦長トーマス・J・セン大佐の指揮下就役した。1941年12月8日の日本海軍による真珠湾攻撃により大破、着底して戦闘不能となり、その後に浮揚、改修工事をうけて1944年に太平洋艦隊に復帰した。

wikipediaより

日本軍の奇襲により炎上するウェストバージニア
原典 The United States Library of Congress's Prints and Photographs division

原典 history.navy.mil

ペンシルベニア (USS Pennsylvania, BB-38)「アメリカ海軍の戦艦」

12月7日の真珠湾攻撃の時、ペンシルベニアは乾ドックに入渠中だった。ペンシルベニアは、真珠湾の艦艇や施設に襲い掛かる九九式艦爆や九七式艦攻に対して対空砲火を撃った最初の艦の一隻だった[3]。乾ドックに入渠中だったのが幸いして雷撃は成功しなかったが、それでもペンシルベニアおよび、その周辺は激しい機銃掃射に見舞われた。やがて、一発の爆弾がペンシルベニアのボートデッキを突き破って9番砲塔に命中。また、ペンシルベニアの前方に入渠していた駆逐艦カッシン(USS Cassin, DD-372) とダウンズ (USS Downes, DD-375) に爆弾が命中し、両艦はひどく破壊された。ダウンズに搭載してあった魚雷発射管の一部(およそ1トン)が爆発で吹き飛び、ペンシルベニアに落下して穴を開けた。ペンシルベニアは15名の戦死者と14名の行方不明者、38名の負傷者を出し、それらの中にはペンシルベニアの幹部も含まれていた。

wikipediaより

真珠湾攻撃後のペンシルベニア。手前は駆逐艦カッシン(右)とダウンズ(左)
原典 National Archives and Records Administration

フェニックス (USS Phoenix, CL-46)「アメリカ海軍の軽巡洋艦」

1941年12月7日の運命の朝、フェニックスは真珠湾内フォード島(英語)の東南側に、病院船ソレース (USS Solace, AH-5) の近くに停泊していた。フェニックスの見張りは、フォード島上空を飛ぶ不審な飛行機、日本機を発見。間もなく日本機の攻撃が始まり、フェニックスは作動できる銃砲でこれに反撃した。幸い、フェニックスには攻撃による被害もなく、その日の午後には、同じく真珠湾内にいたセントルイス (USS St. Louis, CL-49) 、デトロイト (USS Detroit, CL-8) および数隻の駆逐艦らとともに臨時の任務部隊を編成し、南雲忠一中将率いる機動部隊の索敵に出撃したが、空振りに終わった。

wikipediaより

真珠湾攻撃で破壊された戦艦アリゾナおよびウェストバージニアの横を通過するフェニックス
原典 National Archives and Records Administration

PBYカタリナ(Catalina)哨戒機「アメリカ海軍の哨戒機」

太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前の1941年12月7日には、マレー作戦に参加する上陸部隊を乗せた輸送船団の上空護衛を行っていた日本陸軍の97式戦闘機が、哨戒中のカタリナを(正式な開戦の前であったが)撃墜した。これは同戦争における最初の連合国軍の損失であった。

wikipediaより

原典 National Archives and Records Administration

ページトップへ

三隈(みくま)「重巡洋艦」

三隈(みくま)は、旧日本海軍の重巡洋艦で、最上型重巡洋艦の2番艦。三菱造船長崎造船所にて建造された。艦名は大分県の日田盆地を流れる三隈川に因る。ミッドウェー海戦で沈没し、太平洋戦争で最初に失われた日本海軍の重巡洋艦となった。

wikipediaより

原典 U.S. Naval History and Heritage Command Photograph NH 73032

原典 U.S. Naval History and Heritage Command Photograph

荒潮(あらしお / あらしほ)「駆逐艦」

荒潮(あらしお / あらしほ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。朝潮型の4番艦である。

wikipediaより

原典 Official U.S. Navy Photograph 80-G-414422

最上(もがみ)「重巡洋艦」

最上(もがみ)は、日本海軍の最上型重巡洋艦1番艦。呉海軍工廠にて建造。艦名は山形県を流れる最上川にちなみ命名された。「最上」の名を持つ艦としては二隻目であり、初代「最上」は通報艦であった。

wikipediaより

原典 Ariga's Warship Photo Gallery

龍驤(りゅうじょう)「航空母艦」

龍驤 日本海軍航空母艦。伊予灘沖にて公試中の写真。原典 広島県呉市海事歴史科学館所蔵品

龍驤 日本海軍航空母艦。横須賀軍港に停泊中の龍驤を前面から撮影した写真。
原典 広島県呉市海事歴史科学館所蔵品

龍驤 日本海軍航空母艦。横須賀軍港に停泊中の龍驤を後ろから撮影した写真。
原典 広島県呉市海事歴史科学館所蔵品


ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) 「アメリカ海軍の航空母艦」

ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) はアメリカ海軍の航空母艦。ヨークタウン級航空母艦のネームシップ。その名を持つ艦としては三隻目。1942年、ミッドウェー海戦で沈没した。愛称は「オールド・ヨーキィ」

wikipediaより

原典 US Navy

ページトップへ

関連サイト

ページトップへ